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3年間を振り返り、未来へ投射する~池田正昭×嵯峨生馬トークライブ

 



(嵯峨) きょうはお集まりいただいてありがとうございます。めでたく、アースデイマネーが3周年を迎えたわけで、これからもぜひよろしくお願いしたいと思います。それで、きょうは3周年を記念して、実はこの3年間で一度もなかった、そして、これからもそう滅多には起こらないだろうという、池田さんと私との対談という企画になりました。
 実際、池田さんと直接お話しすることは何度もあるのですが、こうして公の場で対談というのは、本当に初めてですよね。

(池田) まあ、きょうは、3年間のあゆみを振り返りつつ、ということで、嵯峨さんからはアースデイマネーの立ち上がり期について説明するようにと言われ、なかば証人喚問を受けるような気分ですが、なるべく正確に当時のことをお伝えしていきたいと思います。


1999年、そのころ日本の地域通貨は・・・
(池田) アースデイマネーはきょうで3周年を迎えたわけですが、アースデイマネーが立ち上がったころ、私は、博報堂で「広告」という雑誌の編集の仕事をやっていました。特に、2001年の1年間は、Future Social Designというコンセプトで、雑誌が単なるメディアとしてではなく、プロジェクトを生み出すプラットフォームになろう、という野心的なことを考えていたわけです。それで、雑誌の形も真四角にして、それをスクウェア、つまり、広場に見立てていたりしました。アースデイマネーは、このFuture Social Designの時代の雑誌が母体となり、その雑誌のコンテンツが発展して生まれたものです。

 それで、きょうは最初に、日本における地域通貨の展開を振り返りつつ、アースデイマネーの成り立ちを説明します。
地域通貨は日本で一種のブームみたいになりましたが、始まったのはまさに20世紀の終わりの99年、世の中を変えたいと考えている人たちにヒットしたんだと思います。

 その時点で、地域通貨には大きく3つの流れがありました。ひとつがエコマネー、加藤敏春さんが提唱したものです。二つめは森野栄一さんが考えたWATT、これはオーストリアのゲゼルから来ている流れです。3つめがLETS、つまり、マイケル・リントンが作ったものです。3つが目指しているものはお互い違っていたかもしれませんが、20世紀の終わりで先が暗いが、でも将来を明るく見通したいという前向きな気分に、響きが良かったんですね。「お金」が世の中を悪くしているという考えから、この「地域通貨」はそのお金を自分たちで変えられるんだよ、という可能性が感じられて、すごく注目されました。国家が管理するお金ではなく市民の手でもうひとつの通貨が可能なんだ、ということへの期待感は、かなりありました。で、これら3つがほぼ軌を一にするように出てきたというわけです。

 99年頃は、地域通貨といっても日本国内に10ぐらいだった。一部の人たちだけでなく、いろんな人たちがやりだしたのが、99年。この年、今まで着実にやっていた人とは別に、派手にたくさん出てきた。99年の5月にNHKで「エンデの遺言」という地域通貨の番組が放送されたというエポックメーキングな出来事も起こりました。この20年間のNHKスペシャルで視聴率10%を超えたのはこの番組だけらしい。それだけインパクトが大きかったわけです。その影響を受けて、いま地域通貨をがんばっている人たちもいます。地域通貨というシステムが、「エンデ」というフィルターを通すことで、夢のあるものになったという側面もあるでしょうね。

 ところで、私のほうはというと、エンデではなくLETSというのを知って惚れ込んでしまいました。「批評空間」という思想誌があるのですが、そこで紹介されていた、99年夏号の西部さんという北大の経済学部の先生の論文がとってもよかったんです。批評雑誌なので小難しい論文が多い中、西部さんの地域通貨論はとにかく明快でわかりやすく、ちゃんと「how to」の話になっていた。そこにマイケル・リントンについても詳しく書かれていました。概念図とか。それを読んでわくわくして、自分たちの手でお金が作れるんだという点と、LETSという通貨の前提となっている発想に非常に驚かされました。なかでも、いちばん影響されてしまったのが、この雑誌の主催者の柄谷行人で、よしやろうとなった。そこで、柄谷さんのグループでは「Q」という地域通貨の立ち上げに向けた動きが出てきたわけです。

 それから、西部さんのこの論文にとても影響された人がもう一人いまして、それが坂本龍一さんです。坂本さんは、99年からしばらくものすごい地域通貨にハマってまして、日本中で地域通貨についてそこまで知ってるのは坂本さんしかいないというくらい盛り上がっていました。99年の西部さんの論文を読んで、すぐ自分の雑誌でも特集を組んだんですが、その特集は、今でもすごく出来が良かったと思っています。ある種、今の時代をやさしく見通していたのかもしれません。そこでは、流通に対する若者たちのかかわりが変わってくるんじゃないかということに注目して、広告業界のひとたちに「フリマ」を見ろというメッセージを発したんです。フリマというのは、とてもハッピーな市場で、売り手と買い手の目線が一緒でフラットな関係の市場です。そういう場が若者の間で自然に広がっていくんじゃないか、と。でそこで流通するお金がいわゆるコンベンショナルマネーはふさわしくないんじゃないかということで、地域通貨を紹介するという感じで、これがはじめて私が地域通貨を公に扱った記事です。

 西部論文のインパクトが具体的な動きになっていき、柄谷行人がQを始めた。これは私も何かやらなきゃと思って、2000年に、雑誌でコンテンツを作りながらという形で私も地域通貨をやってみようと思いました。ならば、マイケル・リントンをいっそ連れて来ようということになり、本格的に日本でレッスンをしようということになった。2000年の暮れからLETSのプロジェクトを始めることになったわけです。そこで嵯峨さんが出てくるわけです。


池田正昭、マイケル・リントン、嵯峨生馬の出会い
(嵯峨) 私は日本総研という会社に勤めていましたが、今後地域にICカードが入ってくるんじゃないかということで、会社としてもICカードのアプリケーションとして地域通貨というものを知っておいた方がいい、ということになり、たまたま私が地域通貨の事を調べる担当になったんです。最初は、こんなことがあるのか、という感じでした。あれこれ調べはしたのですが、部署の都合で調べたことはそのままお蔵入りになりました。ですが、そのときにたまたま入っていた地域通貨のメーリングリストがきっかけとなったんですね。リントン氏が、せっかく日本に来るなら、雑誌の編集部以外に誰が会う人はいないかということで、メーリングリストに入っている日本人をピックアップし、池田さんを経由してお誘いが来ました。ものめずらしさで足を運んでみたわけですが。行ってみたら、リントン氏は、単に知識として地域通貨を伝えに来たのではなく、実践につながる地域通貨の具体的な方法を伝えに来たのだ、だから一緒にやろうじゃないか、と踏み込んできたのです。

(池田) フォローしますと、嵯峨さんもお呼びしましたが、リントン氏が今後の日本の地域通貨に関してキーパーソンになるような人たちに会いたい、ということで西部さんもお呼びしたりして、セッションをしました。
 セッションのうち一回は東急電鉄さんともやり取りしました。当時、コミュニティビジネスというのが流行っていて、博報堂の中でも地域通貨をコミュニティビジネスと絡められるんじゃないか、面白いかもしれないという感じがあり、東急電鉄との勉強会が立ち上がっていたんです。しかし何をやったらいいか分からないという相談があったので、リントン氏を囲む会に呼んだわけです。これが後々アースデイマネーを誕生させる大きな伏線になっています。

 さて、それでリントン氏を囲む会のうち、こちらの嵯峨さんが出た回では、嵯峨さんが当時なんとも聡明な未来を感じさせる若者で、見事な英語のプレゼンをし、カードや決済のしくみを使って地域づくりについて考えていることがあるとの内容で、これを見てリントン氏が惚れ込んでしまいました。リントン氏を呼んだところでどうするんだという状況の中、これはなんとか日本でも出来るんじゃないかと感じさせる内容でした。これで、リントン&嵯峨のつながりでプロジェクトとしてやっていけるなと思い、マイケル・リントン氏が主役となって雑誌のコンテンツとして地域通貨プロジェクトを立ち上げました。

 彼はいい英語を書く人で、すごくいい記事でしたが、ただ、雑誌そのものに関しては、キャラクターの取り扱いで告訴状が届いたり、お金のトラブルで2号分のお金を使っちゃったりといったことがあって、すっかり存続が危うくなってしまったのです。でもなんとかあと一年間存続できることになったのですが、そのせいで、その号以来会社のチェックが厳しくなり、何回かボツになった企画もありました。2001年の2月にリニューアルして最初の雑誌が出たのですが、リニューアルするまでは、この雑誌はそこそこ人気があり、ベストセラーになったこともあって、実績があって自由にやらせてくれていましたが、この号で従来のファンをほとんど失ってしまい、しかも売り上げが3分の1になってしまいました。ですが、そもそもPR誌なので売り上げは関係ない雑誌、21世紀のコミュニケーションに関わる新しい動きとして、地域通貨は面白いということを言いたかったわけです。まだ、この時点ではアースデイマネーのことは全く出てきていませんでした。


アースデイ東京のハッピーな時間
(池田) 従来の読者を失ったと言いましたが、一方で、2001年の2月号が出たときに、熱烈にこれに反応してくれた人たちがいました。それが、アースデイをやろうとしていた人たちでした。

 アースデイは1970年にアメリカから始まった環境運動で、毎年4月22日をアースデイと定めて地球のために何か良いことをしようということで、世界中で行われています。日本では90年頃からやっていましたが、やっていた人たちの年齢層が上がってきて、これからは新しい日本のアースデイをやってほしいと言って若い人たちにバトンタッチしたそうで、2001年から新たなアースデイになるという意気込みがあったわけです。それで、アースデイの人たちが4月22日前後に地域通貨のイベントをやりたいと思っていたところだったので、ぜひ地域通貨のシンポジウムをやって下さいという話がきたのです。

 一方、その頃、マイケル・リントンは日本に常駐していて、イベントにも参加してくれました。新宿のパークタワーで地域通貨シンポジウムを行いました。ゲストとしてそのときにふらっと来てくれたのが坂本龍一さんです。2000年にマイケル・リントンとこういう活動を始めるときに、興味を持ってくれるかもしれないと思って一応連絡したところ、既に向こうは僕のことを地域通貨に関わっている人ということで知っていました。坂本さんは地域通貨に非常に詳しいのと同時にアースデイにも非常に興味を持っていました。2000年4月のワシントンのアースデイに参加して感銘を受けて、日本でやりたいと思っていたそうです。それじゃ日本でアースデイのイベントで地域通貨のシンポジウムやりますけど、と言ったら来てくれました。

 このイベントでは、マイケル・リントンと坂本さんとフェアトレードカンパニーの人たちが出演しました。先ほど、雑誌を出した時に、アースデイのメンバー以外にもうひとつ、雑誌の内容にすごく興味を示してくれたのがフェアトレードカンパニーだったんです。そこで、フェアトレードというテーマも入れつつ、地域通貨について話し合い、リントンさんの考えた地域通貨ゲームもする。それは、なかなかいいイベントでした。世界的に有名な坂本さんが市民の活動にふらっと来てくれる、そんなとてもハッピーな時間でした。

 そのあと坂本さんと打ち上げに行きましたが、そこで、「今日一日お祭り騒ぎをやったけれども、一年毎日がアースデイじゃなくちゃいけない」と坂本さんが語っており、このことに一気にインスパイアされて、私はそのときにアースデイマネーという言葉とかコントリビューターなどの一連の概念が一気にひらめいちゃったんです。それまではマイケル・リントン氏と嵯峨さんが日本で地域通貨をやるのを手助けできればいいなぐらいに思っていたのだが、急にやる気になってしまったのです。そのあと、早速アースデイマネーの概念図を文字に起こしました。世界観としてはふわふわしてるが、なかなかよく出来たスキームでした。アースデイマネー憲章なんかも一気に書き上げたのです。おそらく、10分もかからなかったんじゃないかな。しかし、その時点ではそれが近々プロジェクトとして立ち上がるとは思っていなくて、純粋に雑誌のコンテンツにとどまるものと思っていました。


突如として、渋谷とアースデイマネーがつながった
(池田) ところが、そんな折、2000年の暮れにリントン氏を呼んだときに来ていた東急電鉄さんがリターンしてきて、東急電鉄さんの内部で地域通貨に興味を持った方がいて、沿線で何か実際にやってみたいという極めて前向きなレスポンスが返ってきました。そこで嵯峨さんに入ってもらって、具体的にどこかで地域通貨の立ち上げを始めるということで動きを進めたわけです。その頃わたしは雑誌の仕事にかまけていて、あまりどういういきさつがあったかは知らないですが、結局「渋谷」でやろうという話になって、そこから私はまた面白そうだということで参加させてもらうことにしました。

 なぜ渋谷のプロジェクトだったかというと、東急電鉄は東横線のガード下の再開発を考えていて、ちょうどJRの新南口を出たところのガード下ですが、そこを若者向けに開発できるんじゃないか。カフェをつくって、そこを中心にしたちょっとした若者文化を発信する街をつくろう、という動きがあり、ちょうど2001年の秋にカフェとバーと弁当屋がオープンするということになっていました。それで、東急がオーナーなので、地域通貨を使うのはどうかという話を持ちかけやすく、また店を出す人たちもノリの分かる人たちで、「面白い! やりましょう!」となりました。その当時、積極的に地域通貨に参加してくれる店があるなんてことは現実的に考えにくかったですが、こうして、ただちに地域通貨が実際に使われる第一号店が出来ることになったのです。

 そこで、6月ごろから、東急の人と嵯峨さんと私と店の人たちで、「渋谷マネー」という形で話し合いを始めました。実際、カフェが地域通貨を使える場ということで、どのような活動をしていくかという話になったときに、リントン氏が残していったコミュニティウェイという地域通貨のしくみを使ってやりましょうということになりました。コミュイティウェイは日本人の反響がとてもよいんですね。そのことにはリントンさんも気付いていて、日本でやるならコミュニティウェイが良いだろうということになりました。

 コミュニティウェイとは地域の環境問題の解決のために導入されるツールで、マイケル・リントンがカナダで行ったのは、その地域に森林資源がありそこを訪れる観光客に100コーストダラーを買ってもらう、それを持っていると100カナダドルを使う以上のメリットがある、100カナダドルは森林保護の基金になる、という仕組みです。これはいい! で、渋谷で環境問題があるの?と思ったら、ちょうどカフェのそばに渋谷川というのがあって、それが汚いので、掃除をしてもらったらお礼に地域通貨をあげる、それをカフェで使える、というものにしていこうという話になりました。

 しかも、この渋谷川というのがすごく汚いのですが、そもそもは「春の小川」という歌のモデルになったという話を東急の人に聞いて、そんな面白い話があったのか!と思い、僕はエコロジストでも何でもなかったし、環境活動として地域通貨に取り組むとしたらそんなにのめりこまなかったと思うけれど、これは文化活動だな、と思ったんです。そういう失われてしまった昔を取り戻すというような話、文化活動という大きな動きに関われるかもしれない、ここにアースデイマネーというのも持ち込んでもいいんじゃないか、という感じで、半ば無理やり、アースデイマネーにすると決めてしまいました、アールという単位でやるんです!と。riverだからrailwayだから「R」でしょ!と。これが2001年の夏です。

 その後、色々苦労もありましたが、渋谷川周辺の面白いカフェなども一緒に参加してくれて、2001年10月23日の時点で10店舗集まって、何とか形がついて、渋谷の街や川の掃除をイベントとして行って、参加してくれた人にアールを配って、10個のカフェで使えるという仕組みが出来上がっていきました。


立ち上げ、そして、NPO法人化
 雑誌の方は、先ほどお話しましたようにキャラクターやお金の問題があったため、いずれ消える運命にあったのが一年もちこたえていましたが、その猶予期間が過ぎ、クビになり、雑誌を取り上げられてしまいました。
 このプロジェクトは雑誌が母体となっており、雑誌の編集部が事務局をしていたので、2002年の春に母体がもはやなくなることになったのですが、アースデイマネーは既に2001年10月に立ち上がっていたので、この活動をきちんと続けていくためにも独立したNPO法人を作った方がいいのではないかという話になりました。そこで、雑誌に別れを告げてNPOを立ち上げ、2002年6月に認証をもらい、NPO法人アースデイマネー・アソシエーションが出来たというわけです。

 アースデイマネー3周年ですが、NPOとしては2年ちょっと。アースデイマネーは、アソシエーションですし、ある意味ポータルみたいな場所です。アースデイマネー憲章に触れて、これ面白いと思った人には誰でも参加してもらえるし、自分なりのコミットをしてもらっていいですよ、といったマインドでやっています。嵯峨さんは当初から地域通貨による都市と農村の交流といったことを考えていたし、僕は僕で春の小川の活動に力を入れてやって、その運動の一環として打ち水大作戦もやったりした。こういったことと地域通貨とどのようにつなげられるのかは考えあぐねていますが、嵯峨さんの着実な歩みと僕の突発的な暴走が絡み合うようで、絡み合わない感じで・・・、それがある意味アースデイマネーを魅力的なものにしつつ、といった感じでしょうか。

(嵯峨) 池田さんは自分のことを着実といってくれていますが、日ごろ活動をやりながら、最初に池田さんが作った仕組みというか、基本デザインというかがあって、それを具体化させるように実行しているという感じをいつも覚えます。池田さんが定めた原点に、自分は肉付けをする役目なんじゃないか、というようなことを思いながらやっています。



「9.11」で確実に何かが変わった
(池田) 私は、着実に考えることができない代わりに、突発的に「訪れる」ものがあって、それに呼ばれて動き出すという感じの人間です。でも、それが最近あまりない。流れっていうのは、やっぱりありますよね。
 99年から2001年にかけては目に見えない流れがあった気がします。坂本さんともシンポジウムの後もつながっていて、アースデイに関して何かまたできるかなという感じだったんです。

 でも、9.11で流れが変わった気がする。環境問題を軸にしながら地域通貨をやっていこう、という緩やかな考えをみんなで持っていたが、9.11でそれが変わった。イデオロギーとかが出てきて、反戦運動とかになっていって、9.11以後、面白くなったとも言えるが、政治が汚くなったというか、以前のなんか大きな流れがあるよねという感じがなくなっちゃったかな。

(嵯峨) こういう活動を続けていくことは、日々悩んだりしますが、これにまだへばりついていく意味がやっぱりあるのかなと思っています。やっていると、ここから先は持久戦のような気がするんです。
 9.11以後、それまでは希望とか期待だけである程度やっていられたけど、事業としてやっていかなくちゃならなくなったというか、NPOとかでも事業性が殊更に言われるようになってるし、あらゆるところでお金のことを言われるようになってきている気がします。一方でCSRとか言って、企業の社会的責任とかはやらなくちゃ、とか、とにかく「ちゃんとやる」ということが、時代のテーマのようになって来ました。

(池田) 9.11以後、世の中が保守化しちゃっている感じがありますよね、99年頃は大企業はあわてていて、世の中変わっていくんじゃないか、自分たちがどのように対応したらいいか分からない、という感じでそれに付け入る余地があったが、今はガードが固い。

(嵯峨) 池田さんの書かれた3周年のメッセージもそれに近い内容ですよね。

(池田) 何を仮想敵にしているかというと、ホットペッパーなんですよね。
 実は、ホットペッパーは2001年の10月に渋谷で始まっている。アースデイマネーと軌を一にしておりまして、その頃は、こんなのがまさか定着するほど世の中バカじゃないだろうと思っていました。アースデイマネーのように地球に貢献しつつクーポンとして流通できるようなものこそこれからの人々は求めるに違いない!と思っていたのに、いまや先方とは比較してもしょうがないくらい状況は変わってしまったんです。これでいいんだという、簡単な方に世の中の人々が流れていく気がしてしょうがない。けど、それをどうしたらいいか・・・。

(嵯峨) 情報に密度を持たせて媒体力を生み出すという商売ですけど、あれを見ると愕然とするというか、アースデイマネーももっと力をつけていかなくちゃという気はしますね。

(池田) ライバルかもしれませんが、協調できたらその道も探りたい。あの勢いはすごい、世の中あの感じで進んで行ってるような。


LETS再評価の機運!?
(池田) 先ほどNPOも事業化していかなければという話がありましたが、アースデイマネーも事業化していかなくちゃいけないのか、本当にそうなのか、別の道はないのか。オルタナティブがあるのかと言われるとお手上げだけど。NPOの可能性というのは、何か他のところに展望はないのかという思いがあるんですよね。
 ビジネスも大事だけど、なにか新しい発想はないか、と考えるときに「LETS」かなと思ったり。
最近は、地域通貨を回していくには物の価値の裏づけがないとだめだろう、という方向に向かっている感じがしますが、そっちの方向に行き過ぎるのもどうか、というのもあります。ですから、私自身は「気持ち本位制」というのがいさぎよくてアースデイマネーらしいと思うんですよね。

(嵯峨) イギリス人のジャーナリスト、デビット・ボイル氏は、地域通貨について二つの概念を出しています。それが、フリーマネーとリアルマネーというもので、フリーマネーはまさに気持ち本位制、いくら出してもいい、しかも場合によっては踏み倒してもいい、でもそこにいる人々の間でつながっていることを確認するためのもの。一方のリアルマネーは、野菜本位制とか、現物と交換するものがあるもの。でも、ボイル氏も同様にあまり現物との交換可能性に寄りすぎてしまってもただの交換券になってしまうと指摘しています。
 リアルマネーすぎても制約が多すぎる、フリーマネーに行き過ぎるとふわっとしすぎる、彼の結論としては二つのバランスが重要なんだということです。
 アースデイマネーも色々やっていますが、例えば農業のプロジェクトを入れたからといって、アースデイマネー自体を小麦本位制にしてはいけないのではと思っています。ただ、交換品として小麦もある、個人の関わりも用意していきたいと思っている、LETSがベースだけど、一部具体的な交換物もあったりする、という感じがほどよいんじゃないかと思っています。

(池田) 個人的には、LETS再評価の機運が高まってます。事業化も大事かもしれないけど、小さくまとまりたくは、ないですよね。■